trainer
自らの経験をお客様に伝えていきたいという山口雅弘。
芸能界への道を捨ててまでも叶えたかったパーソナルトレーナーになるという夢。そのきっかけとなった出来事を山口に伺った。
私は小学1年生から高校3年生まで野球を続けていました。
小学校、中学校では主将としてチームを引っ張っていき、将来は野球選手になりたいという夢を持ちながら頑張っていました。
ですが、高校に入ってからは周囲との体格差を感じ、それをきっかけに一気に自信を失い、野球を辞めようと思ったこともありました。
自信を失いそうになる自分を変えようと必死にトレーニングや食事で体重を増やし、周りに追いつこうと独学で努力を続け、2ヶ月で10キロの増量に成功しました。
しかし、増量できたはいいものの骨と筋肉の発達が追いつかず、重くなった身体を支える下半身に負担がかかり、シンスプリントという怪我を発症しました。
身体をうまくコントロールできず、野球に適した増量に失敗してしまったのです。
怪我を機に単に体重を増やせばいいということではない、食材の栄養素やバランスが重要だということをを知り、いかにバランスよく筋肉と脂肪を付けることが大事であるのかを身をもって感じました。
それから治療生活が始まり、チームの専属トレーナーに皆とは別メニューのトレーニングを組んでもらい病院で治療の日々を過ごしました。
「このままでは試合に出られない」という焦りの感情から、監督やトレーナーには内緒で自主練を行っていました。
負けたくない思いから無我夢中で身体を酷使した結果、治りかけていた怪我も再発し0からの治療になりました。
トレーナーの指導の元、体重管理のための食事指導、復帰後に皆に遅れがでないような筋力トレーニング、そして休養をしっかりと行った結果、無事に復帰することができました。
トレーナーなしでは、最短での復帰は不可能でした。
復帰は当時の私には凄く嬉しいことで、大きな出来事でした。この時に、助けを必要としている人のサポートが出来る「トレーナー」という職業に学生ながら憧れを感じていました。
高校野球を引退した後は野球から離れて語学勉強に励んでいたのですが、大学2年生まで食事に気を遣わずトレーニングも全く行っていませんでした。
当時パン屋さんでバイトをしていたこともあり、廃棄のパンを夜に7、8個食べ月に4回は焼肉食べ放題などの生活を続けていたため、今より10キロも太っていました。
再びトレーニングに出会ったのは語学留学の為に10ヶ月間滞在したアメリカでした。
大学のジムは日本で見たことがないくらい大きく、器具の数と設備の良さに圧倒されたことを覚えています。
本格的に鍛えてみたいと思っていた私は現地の学生と一緒に毎日ジムに通い、英語での会話を行いながらトレーニングをしていました。
食事には気を遣わずにトレーニングだけを行っていたので、身体はすごく大きくなりましたが憧れていた引き締まって筋肉の筋が出るような身体には程遠かったです。
トレーニングだけではボディメイクは行えない。
食事も見直して1度本気でボディメイクに取り組んでみようと思い、帰国後にトレーニング方法と食事管理の勉強をし始めました。
その結果、半年間で10キロの減量に成功したのです。
見た目が変わり、自信がつき、この喜びをボディメイクを必要としている人にも感じて欲しい、その人達のサポートをしたいと思いトレーナーの道を考え始めました。
その後、本格的にトレーナーになることを決意したのは大学の就職活動中でした。
大学では芸能界の道に進みたいと思っていたため、数々のオーディションを受けてきました。
そのためには痩せてかっこいい身体になろうと決意し、オーディションに受かるためのボディメイクを始めました。
筋肉をつけながら減量に成功し、2社の事務所に合格することができました。
このまま芸能界に進もうと思っていた矢先、弊社代表の石丸のインタビュー記事を目にしました。
「お客様のために一切の妥協はしない。全てはお客様のために。」この代表の言葉に感銘を受けました。
ボディメイクの楽しさをもっとたくさんの方に味わって頂きたい。
高校時代にお世話になったトレーナーのように、お客様に寄り添えるトレーナーになりたい。
そして変わりたいと思っていらっしゃるお客様の力になりたいと強く思い、芸能界への道ではなくトレーナーの道へ進むことを決意したのです。
パーソナルジムに通う理由は人それぞれ異なります。
美しいシルエット、たくましい体、健康のため、姿勢改善、リフレッシュ…
パーソナルという時間の中で、お客様の一日一日が豊かになるような時間を提供できるように、これからもトレーナーとして頑張っていきたいです。
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